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働き方を変えてみた話/情と理のバランス

こころのこと

好きなことを綴るブログです。
bokoと申します。大阪で会社員をしながら暮らしています。

よし、決めた!と退職の決意を恩人に伝えたところ、新たな選択肢が出てきました。
人生、不思議なものです。
今回は働き方に向き合うなかで、身についた考え方について綴ります。

情に溺れると思考停止になる

仕事辞めようかな…と思った時に、
「でもこの状況で人が減ったら皆に迷惑かけるし…」とか
「忙しいのは皆一緒!」というような気持ちになることって少なくないと思います。
かつて私もそう思っていた時があります。

はい、それ思考停止です。

私の場合、職場の人間関係にはそこそこ恵まれていました。
その分”苦楽を共にしている””支え合っている”と、情でなんとかエネルギーを保っていた時期があります。
でもそれって現実は何も変わらない、”思考停止”の状態ですよね。

職場を辞める方向に気持ちが動いていくにつれて、「本当に自分がいなくなったら皆困るのかな?」と試してみたことがあります。
実務がどうなるか、と、自分の感情がどう動くのかを確認する目的です。
具体的には海外出張1週間と有給消化1週間で、約2週間会社に出社しないことにしました。
お察しの通り、たいして誰も困らず職場は動いているのです。
もちろん多少は事前に備えましたし、職場からの連絡はそれなりにありましたが、率直に「やっぱり自分がいなくても大丈夫だ」と安心した記憶があります。

そりゃ感情としては、職場に必要とされていたい気持ちもあります。
だけどその感情に溺れてしまうと、自分が向き合いたいテーマに対して思考停止してしまうのです。

理に傾くと関係がカサつく

働いていてなんとも言えない気持ちになるのが、「それ私の仕事ですか?(じゃないです)」というやつ。
言われたこともありますし、言っている人を傍観している時も、自分がたまらず言ってしまったこともあります。
口に出さずともしっかり線引きをして、行動で示すパターンもありますよね。

ジョブ型の職場は、それが当然なことなのだと思います。
私の職場はメンバーシップ型の職場でしたので、業務に線を引き過ぎるとこういうセリフが飛び出してくるんですよね。
個々の状況によるので、このセリフがいけないというわけではないのですが、なんとも言えない気持ちになります。

なぜならその業務自体は、この職場の誰かがやるわけで。
その采配を上司がしたわけで。
(なかには采配をしない・できない上司もいるけれど)
目の前にその業務があるわけで。
業務の先には顧客がいるわけですよね。
そういう意味では全員の業務ですやーん、ということです。

自分がこのセリフを口にした時って、ちょっと理に偏っていたのかもしれません。
私の業務範囲はここまでですけど何か?みたいな…。
(それを理と呼んでよいのか…。利かもしれないとも思いながら。)
職場全体がそのモードになると、カサカサした関係になってしまいそうです。
カサカサした職場からいい成果は上がりづらいよね、ってことです。

バランスというかグラデーションというか

情と理のどちらも大切で、極端に偏らないようにしたいものです。
イメージはグラデーションな感じで、自分の中にどちらも存在していて。
その分量を自分で調整できると心地いいのかな、と思っています。

調整するためには、そのグラテーションが今どんな色合いかを俯瞰で捉える術が必要です。
イメージを描いて、理想の色合いに調整して、心地よく働いていきたいものです。

何か物事を決めるとき、「あぁかな、こうかな」といろんなことを考えていると思います。
そして考えているうちにどうしたらいいか分からなくなってきて、”分からない”ことに疲れたり飽きたりして思考や判断そのものを止めてしまう。
かつての私はその繰り返しでした。
思考を止めて判断しないから、現実は何も変わらない。
「何も行動しない・何も変えない」ことを選択しているのは自分自身でした。

「あぁかな、こうかな」のタイミングで情と理のバランスを意識してみる。
自分の情と理のグラデーションを俯瞰で捉える意識を持つ。
そんな風に付き合っていくと、次第に自分で調整できるようになってきた気がします。

今回もお読みいただき、ありがとうございます。
次回でいよいよこのシリーズも終わります。
最後は、「新しい働き方、ぶっちゃけどうですか」と題してお届けします!
よろしければ是非お読みください。

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